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日本では、見えない何かに縛られていた

ヒーロー映画博物館で謎の悪役と共に投獄された私@マニラ お久しぶりです。 時の流れも速いもので、気付いたら2024年になっておりましたが皆様いかがお過ごしでしたでしょうか?w 私はというと、昨年は会社でフィリピンのマニラに赴任し、1年の任期を終えて今月日本に帰国いたしました。 仕事は今まで経験した中で一番大変でしたが、だからこそ成長も感じられて充実した日々を過ごすことができました! さて今回は「日本では、見えない何かに縛られていた」というタイトルで、とある経験をシェアしようと思います。 仕事と関係ない話なのですが、私が日本を離れてから、これまで自分を縛っていた「フィルター」のようなものの存在に気付き、それを一つずつ外していく経験をしました。その過程と結果について、ここにまとめておこうと思います。 日本で感じていた閉塞感は 私だけかもしれませんが、日本にいたときは、いつも行き詰まった感覚を覚えていました。 周りを見て皆が好きなものを好きなふりをしたり、周りが嫌なものを避けたりしていました。正確で単調な毎日を繰り返して、希望の見えない日々を送っていました。 それがフィリピンでは、毎日が刺激的で開放的で、大変だけどとても楽しい。この違いは何か?おそらく、フィリピンでは「同調圧力」をあまり感じなかったためかなと思いました。 私はフィリピン語が分からないので、負の情報が入ってこなくてハッピーだっただけかもしれません。ですが明らかに、周りと違う人を白い目で見る人はいないし、外国人だからといって悪意を向けられたこともなかったです。 日本では「みんなと同じ」が正しくて、みんなの共通認識に縛られているところがあると思いますが、フィリピンにいるときはそれを感じなくて、みんながそれぞれに意見や主張がある印象でした。 フィリピンに来てからその同調圧力や共通認識のフィルターに気付いて、それらを外していったら、すごく楽になりました。 フィルター①見えない菌 すごく変な話なのですが、日本には「実際には見えないけどみんなが認識している菌」があると思います。 例えば日本の家は、玄関で靴を脱ぎますよね。外を歩いた靴は汚い、菌がついているというイメージがあります。が、フィリピンではたぶん靴を脱いでも脱がなくてもどちらでも良いです。w 私が最初フィリピンに来たときは、フラットな玄関に戸惑いました。どこから

自分を愛することに決めた。これから意識したい3つのこと

街もクリスマス支度が進んでいます


 あっという間に11月が過ぎ去り、気付けばもう12月ですね。

年末の足音が聞こえてくる頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?


年末の雰囲気って、なんだか良いですよね。

新しい年が始まる前の、束の間の休息。一年を振り返って、自分をねぎらってあげる時間。

ホッとするような安心感があります。


今回のテーマ「自分を愛する」というのは、もっと普段から、自分を労ったり、認めたり、肯定してあげようという話です。


とあるきっかけがあって、これまで長い間悶々としていたことにようやく答えが出せたような気がしたので、この一年の最後の学びとしてここにまとめておこうと思います。


自分を認めてあげられるようになった

とあるきっかけというのが、友人に教えてもらったドリゼラさんの投稿でした。


この他にもいろいろな投稿を読み、こういうメッセージを受け取りました。

・人は生まれたときから既に完全で、完璧で、足りないものや余分なものは無い

・私は私であって、他の何かになろうとする必要は無い


今までの私は、他の人と比較して劣っているところばかりに目を向けていました。

資格、スキル、体型、見た目、性格・・・。

周りと比べてできていないこと、やっていないことに対して、いつも焦りや劣等感を感じていました。


特に会社員になってから、こういう思考が加速したように思います。

会社では常に「自己研鑽」「スキルアップ」と言われ、課題を見つけて解決し、上を目指して成長し続けることが求められます。

私は時々それに息苦しさを感じます。目標を立てて頑張って、達成しても当たり前。また次の目標を立てて、時にはお金を払って、何かを手に入れても、評価されない。止まっている時間は許されなくて、すぐ次の目標を立てて再び走り始めなければならない。


どこまでいっても終わりが無くて、年を重ねるたび更に新しい課題が出てくる。

こうしてどんどん重荷が増えて、人生って終わっていくのかな。。

じゃあ、生きている楽しみって何なんだろう。何のために生きるんだろう。


そんな風に、悲観的になっていたとき、ドリゼラさんの投稿を見ました。


現状に満足しちゃだめだなんて、そんなのもったいない。

自分くらい、自分のこと褒めてあげたっていいじゃない。

そう思ったら、少しずつ、自分を認めてあげられるようになってきました。


レビュアーを自分自身に設定しよう

会社では、私のことを評価してくれる「レビュアー」の役割の人がいますが、人生においては、レビュアーは自分自身で良いのではないでしょうか。


評価者を他人に設定しているから、他人の目が気になってしまうし、いちいち反応を気にしてしまったり、それによって自分の感情が左右されてしまうと思います。


「私はこんなに愛しているのに、どうして応えてくれないんだ・・」

「こんなに頑張ったのに、なんで認めてもらえないんだ・・」


人の考えていることなんて分からないし、私自身ほど私のことを考えてくれるわけではない。そんな人に、自分の存在価値を求めると苦しくなってしまいますよね。

自分の価値や感情がその人の評価に依存する状態は、不健全だと思います。

だからもう、これ以上自分の評価を他人に求めるのはやめて、自分のことは自分で評価して認めてあげようと思うのです。


これからの時代をどう生きるか

ここ数年で、時代が大きく変わったように思います。

以前までは、周りと同じことが良いとされる風潮がありましたが、最近は、周りと違うことが尊重されるような雰囲気になってきていると感じます。

個々がそれぞれの意見を主張し、個性を活かして活躍していく時代に、いかに自分を保って生きていくか。


これからの時代を生きていくために、意識していきたいことを考えてみました。


1、意見を持つ

自分が好きなこと、嫌いなこと、心地いいもの、不快なもの・・。
まずは、自分の心の声を聴いて、それを受け入れてあげようと思います。

少し前、会社の面談があったのですが、就活していた頃の志望動機をすっかりと忘れていたことに気付きました。

4年前、「○○をやりたい」と思って会社に入ったのに、入社後に何度言っても叶わなかったので、記憶から消し去っていたようでした。

長い間意見を押し殺し続けると、次第に意見が無くなってしまうのだと思いました。


周りが求めていることを当たり前に優先するのはやめて、自分の気持ちをもっと大切に扱おうと思います。


2、発信する

自分の気持ちを、周りに発信することも大事だと思います。
そのとき、周りの顔色を窺わずに意見を言うこと。

私の会社の同期で、50人中49人に嫌われていると言われている人がいます。

その子はたしかにキャラが濃くて、合わない人もいるだろうなと思うのですが、私はその子の、はっきりしていて真っ直ぐなところがとても好きです。
(なので嫌っている人は49人ではなく48人ということになりますw)


私はつい、誰に対しても嫌な思いをさせたくないと思ってしまいますが、
たしかに50人中49人に好かれている方が、不自然だと思います。

みんなに合わせて薄っぺらになっているより、好みが分かれるくらいはっきりと自分を説明できる力を身につけたいです。

3、引き寄せる

自分で自分を発信することで、今の自分に合った人や、機会を引き寄せられると思います。

先日、"世界最高齢のプログラマー" 若宮正子さんに関する記事を読みました。
若宮さんが提唱する「ハッシュタグ人間」の考え方がとても面白いと思いました。

私のお勧めは、「ハッシュタグ型の名刺」。自分が好きなもの、関わったもの、なんでもいいんです。大学生のころアラビア語をかじったとか、枝豆を茹でさせたら上手いなど。そういうことを伝えると、人が興味を持って反応してきます。


趣味に限らず、意見や、考え方、やりたいことなど、周りに見えるようにしておくことで初めて知ってもらえて、反応が得られる。


そうしていれば、自分ひとりでは思いもつかなかったような場所に自然と導かれるのかな?と思っています。

まずは、自分の心の奥底にしまい込んだあらゆる気持ちを掘り起こして、自分を理解することから始めたいと思います!


まとめ

今回は「自分を愛する」というテーマで、私が最近考えていたことをまとめてみました。

上手くまとめられてはいませんが、断片的にでも伝わったら良いなと思い、公開してみました。

どんな自分も認めてあげること、自分の軸で自己評価すること。

周りと同じことが幸せ、ではなくなっていく時代に、自分なりの幸せを感じられるようになれたらと思います。

というわけで、今回はここまでにします。
最後までお読みいただきありがとうございました!

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